Gyokusenji
Buddhist temple · Shimoda ·

Gyokusenji

Buddhist temple · Shimoda ·

First US consulate in Japan, historic site, Harris Museum

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Japan, 〒415-0013 Shizuoka, Shimoda, Kakisaki, 31−6 曹洞宗 瑞龍山玉泉寺 Get directions

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Japan, 〒415-0013 Shizuoka, Shimoda, Kakisaki, 31−6 曹洞宗 瑞龍山玉泉寺 Get directions

+81 558 22 1287
izu-gyokusenji.or.jp
@gyokusenji_

Features

restroom
wheelchair accessible parking lot
wheelchair accessible entrance

Last updated

Nov 20, 2025

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Paul H.

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The museum display is heavily focused on Townsend Harris. But visitors should know that Gyokusenji was the first foreigner housing complex in Tokugawa Japan. In 1854 it housed in succession the Russian diplomatic delegation whose ship Diana was destroyed by a tsunami, an American mercantile expedition on the Caroline E. Foote, a German entrepreneur August Ludorf who traded in Shimoda for six months and ultimately the businessman turned diplomat Townsend Harris! Then Shimoda slipped back into obscurity until the new roads and Goto's Izukyu connected it with Showa.

Jeff L

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You learn about the US forcing the Japanese to open up but it was a different experience seeing the place in person.

きんぎょ

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階段を上がって山門をくぐると、本堂が見えます。静かで落ち着けるところです。参拝して、右手のハリス記念館の受付で、御朱印をお願いしました。 記念館は、撮影禁止です。数々の展示物があり、ステンドグラスが素敵でした。

あまでうすK595

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表通りから細い道に入るため、非常に見つけにくいです。😅通り沿いに10台弱の無料駐車場がありますので、そこを目指して行った方が分かりやすいと思います。 私は土曜日のお昼に伺いましたが、びっくりするほど誰もいませんでした。思ったより小さなお寺ですが、170年前はここにハリスがいたと思うと感慨深いものがあります。☺️ ハリス記念館も敷地内にありましたので見学しました(500円)。20枚の紙芝居風の説明書きを読みながら一周するのですが、とても興味深く楽しめました。来てよかったです。

ヤマ田太郎

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いや〜初代アメリカ総領事タウンゼント・ハリス氏の境遇は、想像を絶しますわ・・・。なぜなら彼が下田まで乗って来た軍艦サン・ジャシント号の乗組員は、領事館となった玉泉寺で国旗掲揚用のポールを建てるのを手伝うと、さっさと船に引き上げ、彼を残して出港してしまったからです。 (もう1人の欧米人で通訳のヒュースケンはオランダ国籍)。文字通りたった1人の「アメリカ代表」です。 母国アメリカは船で何ヶ月もかかる太平洋の彼方であり、次の船がいつやって来るのかも分かりません。(実際に着任から18ヶ月以上もアメリカからの音信はありませんでした)また文化も言葉も全く異なり、話を共有できる人間はヒュースケンだけ・・。 こんなの、火星に置いて行かれるのと何も変わらないじゃないですか! 本堂が宿所に当てられ、本尊の釈迦如来を挟んで入口から左側がハリス氏の部屋で、右側がヒュースケンの部屋でした。今でもよく保存されストーブを取り付けた跡も残っています。 お寺なので当たり前ですが、彼らからすれば不気味な異国の蕃神の偶像の前を通らなければ互いに行き来も出来ません。ワタシなら怖くて、夜にトイレに行けないかも(笑)。 この状況でもハリス氏はアメリカ大統領特使として、責務を果敢にまっとうしようとします。彼の任務は日本との通商協定の締結です。 彼はたった1人とはいえども、バックには黒船をはじめとする強大なアメリカの軍事力があります。 「このまま鎖国を続けていたら、アヘン戦争の時のように英仏の大艦隊が江戸城下に押し寄せて来るかもしれない。その時に仲介の労をとって危機を回避させられるのはアメリカだけである。 また事前にそうならないように、開国する事こそが肝要である。アメリカがその手助けをしてあげよう。」という論法です。まるでアメリカが正義の味方みたいですね(笑)。 この時、日本は幕府という軍事政権である事が幸いしました。欧米の細かい技術や文化法制は理解できなくとも「戦争に勝てるか負けるか」だけは分かるのです。 一方、中国や朝鮮半島は儒教による濃厚な官僚国家になってしまっていたため、「善悪」による観念論で判断してしまい、現実の軍事力の脅威がまったく分かっていませんでした。 アヘン戦争の情報を入手し(戦後3ヶ月以内には全てを知っていました)分析した結果、はじめは渋っていた幕府もハリスの主張の理を認め、通商協定の締結へと舵を切ります。感情的な排撃論など、圧倒的な戦力差の前には何の意味もないことは明らかだったからです。 その後、米軍艦ポーハタン号上で日米修好通商条約が結ばれて横浜が開港となると、ハリスは江戸へと去り玉泉寺領事館は閉鎖となります。この間、わずか2年10ヶ月の出来事でした。

Jinguji K.

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アメリカ領事館がおいておりました。ロシア人墓地やアメリカ人墓地もあります。 ハリス記念館は下田まちあるきマップ使用で@500⇒@400になります。

Akihiro U.

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日本初のアメリカ総領事館だった寺院。割とこじんまりしていますが、此処が幕末の歴史的な舞台だったと思いと感慨もひとしおです。ディアナ号の乗組員の墓碑が日本式のものにロシア語が刻まれているのが印象に残りました。資料館も勉強になります。

高田久司

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瑞龍山玉泉寺といい曹洞宗のお寺で御本尊は釈迦如来になります。 天正年間(1573年~1592年)以前は真言宗の小さな庵でしたが天正の初頭(1580年代)開山の一嶺俊栄大和尚の来錫によって曹洞宗に改宗されました、嘉永元年(1848年)二十世翠岩眉毛大和尚の代に現在地に堂宇が完成し山号を瑞龍山としました。 安政三年(1856年)にタウンゼント・ハリスが下田に入港した際に初めてアメリカ総領事館が置かれた寺院で国の文化財に指定されていて玉泉寺境内にハリス記念館があります。