只見荘一郎
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複雑な路地を持つ町で、それが迷路のようだということからつけられた名称です。敵の侵入から島民を守るために意図的に造られたともいわれますが、正確なところはわかっていません。
基本的に城下町は入り組んだ町並みをしています。これは敵がまっすぐ突っ込んで来られないよう整備されるためです。一方迎撃(要は打って出るとき)のことも考えられていて、ある程度道幅は確保されているものです。しかしこの街並みはあまりにも狭く、銃を担いだ兵士は通れたのでしょうか?こう考えると、この街並みは整備されたモノでなく自然発生的なモノではないかと思われます。
ところで、最近は東京も「再開発」され随分と街並みが綺麗になりました。しかしつい50年くらい前までは、車どころか自転車も入れない小道がワンサカあったのです。当然未舗装で小便臭くイヌ(もしかしたらヒト?)の**が転がる道が、都内の至る所にあったのです。そんな町を「20世紀少年」たちは駆けずり回ったのですよ。思うに都内にこんな迷路みたいな小道が残されていたのは空襲のせいじゃないでしょうか?
終戦直後の東京には米軍の爆撃で焦土と化し、一家全滅・所有者不明となった土地が多くありました。そして、そんな土地を他人が勝手に「所有・開発」したため、ほそい私道で区切られた町並みが出来上がったのではないかと考えます。だいたい、当時の「手書き登記書類」なんぞは簡単に書き換えられたでしょうし…….
この辺は松本清張の「砂の器」に詳しく書かれていますから、興味のある方はご確認ください。
2025.6.15